昨日、中学以来の友人との会話で思い出したことがあった
母親が胃の手術をしたのはもう50数年も前のこと。
母親50歳の冬だった。
その4年前、自宅が全焼し、家屋を失って、死に物狂いで働いたのであろう・・
どんな症状だったのか全然記憶してなくて親には申し訳ないが・・
歩く力もなく、病院までの道のり・3キロ程度?を父親がリヤカーを引いていった。今ならタクシーを頼むところだが・・・
この時、リヤカーと一緒にいったのか覚えがない・・
各家庭にマイカーが普及していない時代、移動手段はバス・汽車でした。
手術に要した時間はどのくらいだったか・・
麻酔が切れる時・・私の名前を呼んでいた母親・・
術後切除した部分を見せてくれた・・
気持ち悪くて正視できなかったことだけを覚えている。
退院は10日後だったか・・
重湯・・を食べていた
自動炊飯器がない時代、父親がかまどでご飯焚いたのね。
あの頃は厚いもこもこした下着だったから、洗濯も大変で、急遽洗濯機を購入したんだ・・
そうそう、ローラー式でくるくる回す脱水装置がついた洗濯機。
洗濯物がノシイカみたいになるんだよね。
我が家で一番先に購入した電気製品だったか、画期的なことだった。
父親が仕事を休んで家事をしていた
寒い年で、樽に入った野沢菜づけがガチガチに凍った
氷柱も30㌢もあるような長いものが下がった
群馬から見舞いに来た伯母がビックリしていた。
遠い遠い昔のこと・・・
その後、母親は元気を取り戻し、20年以上も命を永らえた。
今では、胃の手術は当たり前のように実施、皆さんお元気に復帰されているが、あの年、村内で胃の手術をした方はあまり調子が良くなかったとのこと。
父も母もひ孫の顔を見ることなく、旅立ってしまったが、
私は母親の年を越えてもう少し生きていたい。
そのためには健康でなければ。
今朝はー12.2℃、この冬一番の冷え込み
厳しい寒さ、まだまだ続きそう・・・